明日から平成22年度、第1学期が始まります。
学級数が減ることや、諸々の関係で6人の方が転出し、お一人転入されてきました。小さな学校なんで結構な大異動でしたねぇ…。
今年度の仕事としては3学年担任、国語と美術の教科指導、教務と大きくは3つになります。
国語は専門なんですが、美術を指導するのは久しぶりです。元々美術の免許はないのですが、美術の先生が転勤したので、残った人間の中でやらなくてはいけません。まぁ、要するに無免許運転ですな(^_^;
本来、中学校は教科担任が指導しているので理屈としては全部の教科の免許を持った人がいないと授業が成り立たなくなります。だから、どんなに小さな中学校でも国、数、社、理、英、音、美、技/家、体と10人の教師が必要になります。これに校長、教頭、養護教諭、事務職員となると、最低で14人の計算ですね。
ところが、実際の学校に配置される教師の人数は学級数と学校規模で決まります。
ウチの場合は美術の免許を持っている人はいないので、美術教師にきて欲しいと思っても、学級数に対して配置される人の人数が優先されてしまい、これ以上教師が増えることはありません。
複数の免許を所持してる方もいますが、どんなにガンバッテも28時間(1週間の時間数)より多くは持てないので、自ずと限界があります。さらに、一人の人の担当の教科が2つ以上あったとしても、同じ時間に違う学年や違うクラスの授業はできない(人間は一人なんだから当たり前)ので、時間割を作る上での制約も大きくなります。場合によっては時間割を組めなくなることも(因みに教務の仕事の1つにこの時間割作製があります)…。
とりあえず、学級数が増えるほど教師の数も増えるので1学年2学級以上の中学校であれば、ほぼ全部の教科が揃います(教科によって偏りが出ることはある)。
しかし、学校規模が小さくなって学級数が減るほど、配置される教師の数が少なくなり、結果的に教科の数より配置される教師の数が少なくなってしまう状態が生まれます。まさにこんな状態なんですね、今年度は。
で、まあ、次善の策として免許がない人でも教育委員会(教育局)に「申請」すれば免許外の教科を持ってもいい、ということになるわけです。
よ~く考えてみたら、教科担任制でやっている以上、すべての中学校にすべての免許を持った教師を配置することが基本的な条件整備の1つだと思うのですが、そうはせずに免許のない人間にその教科を持たせるのはおかしな話です。他の都府県ではほぼ全教科の教師を揃えるようにしているところもありますが、北海道の場合は立ち後れている方ですね。
しかも、免許外の教科を持つときには「申請」が必要とくる…。
「申請」の意味は…。
申請(しんせい)とは、一般に、官公庁などの処理機関に対して、自己の希望を申し立て、一定の許可等の効果を求めることをいう。日本法上では、各法分野において多岐に用いられており、行政法上では、行政庁に対し許可・認可などを求めること。(以上Wikipediaより)
ということであり、申し立てて請う、という文字通りの意味です。申請すると「許可する!」みたいな書類が届いて、晴れて無免許運転が可能になります。人が揃わない中でやらなくてはならないから、学校全体のことを考えて、免許のない教科でも持ちますよ、といっているのに、その揃えるべき責を負う相手から「申請しろ」といわれて、「許可する」といわれることにかなりの違和感を感じるのですが。
学力の問題が大きいと言われている昨今の状況でもこんな様子なんですから。実際、教育の現場は矛盾だらけなんです。
上記のことは一例でしかないですが、現在、教育の課題が様々叫ばれている中で、きちんととした手立てを取って人を増やしていけば解決に結びつく部分が実はかなりあります。正確には子供の数に対する教師の数を増やすことですね。
例えば、生徒指導専門の教師を配置するとか、専門のカウンセラーを配置するとか、保護者との対応窓口を司る人間を配置するとか、免許を持っている人が少ない教科の専門家を優先的に配置するとか…。部分的にはありますが、決して十分とは言えません。
子供の数が減っているのですから、実際にはこれ以上、人件費を大きく増やさなくても実質の数は増やせるはずなのに、あまり前進していないです。あくまでも北海道の場合ですが。
まぁ、文句ばっかり言っていても前には進まないので、とりあえず今年度は「高い芸術性を持つ国語教師(ナンジャソリャ)」を目指します。少し前までは「歌って踊れる国語教師」だったんですが。どっちもどっちですな。
学級通信の名前を「百折不撓」にしたので、その精神でということで。
基本美術とか工芸は嫌いじゃないんでいいんですけどね。